金ヶ作は、元武州川越藩郷士の石川家五代目石川彦次右ヱ門氏が、当地の新田開発を計画され、天明2年(1782年)、元締として九家を引き連れて此の地に入植し、一家あたり五丁歩を与えて開拓しました。
翌年(天明三年・1783年)7月6日、浅間山の大噴火により大量の火山灰の降灰により、田畑が大被害を蒙り、急遽、氏神様を祭神するにあたり、石川彦次右ヱ門氏が神社敷地として1,409坪を寄進され、紀州和歌山の熊野本宮より御魂を拝受して、その名も熊野神社と称して祭神されました。
当初は木造平屋茅葺でしたが、明治28年に建替えられ、その後百余年経過して老朽化したため、平成7年2月5日、現在の建物となりました。
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